る光明皇后によって大仏様に献上されました。その後も何度か光明皇后によって、聖武天皇の愛用している品物あるいは光明皇后自身が使っていたようなもの、そういうものが大仏さんに献上されています。
このように8世紀の中頃に正倉院には聖武天皇や光明皇后に関係の深い宝物が納められましたが、現在それらの品物を献上した時の目録、つまりリストが残っております。ただ、残念なことに、そのリストと現在残っております宝物の数を対比いたしますと、現在は8世紀に比べますと4分の3ぐらい少なくなっておりますが、4分の1しか残っておりませんけれども、その残っておりますものはいずれも目を見張るようにすばらしいものばかりです。
今、正倉院宝物は聖武天皇や光明皇后にゆかりのある、関係のある品物と申しましたけれども、それだけではありません。むしろ数的に言いますと、それ以外のものがはるかに多くございます。それを少し分類いたしますと3つに分けられます。
第一の種類は、今言いましたように聖武天皇あるいは光明皇后にゆかりのある品物。第2番目の種類は、東大寺での儀式に用いられた品物です。この第2種のものにつきましては、第一種のように献上品の目録のようなものはございませんけれども、宝物そのものの中に何年にどういう目的で使ったというようなことが書いてあります。それから第3番目のものは、東大寺の大仏をつくるためのお役所というものがつくられましたが、その役所に関係のあるもの、そういう3つの種類のものが正倉院には伝わっています。
それらの宝物全体がどれくらいの点数があるかということですが、おおまかに私どもが、おおまかな線というのは変ですけれども、一応9千点ぐらいというように整理をしております。いずれも8世紀を代表する宝物だと、このように考えることができます。
これらの宝物を見ますと、明らかに8世紀の我が国でつくられたものも少なくありませんが、中国や朝鮮、東アジアの国々を初め、遠く西アジアの国々からも伝えられたと考えなければならないものもたくさんございます。
スライドに入ります前に、もう少し正倉院宝物の特徴について申し上げます。
第1番目には、宝物の由緒がはっきりしていることです。つまりいつ頃宮中や東大寺などで使われ、それらがいつ正倉院に納められたかということがはっきりしている。これが第1点です。
第2番目には、多くの宝物がほぼ完全な形で伝わっていると。これは土の中から出てきたのではなくて、倉の中に入っておりますので完全な形で伝わっているということです。しかもそれらの宝物の色彩は大変鮮やかで、今つくったのではないかと間違うほど立派なものも数多くございます。
第3番目には、宝物の種類が多様であるということです。天皇の着用しておりました袈裟という、これは仏具ですが、袈裟などの衣服を初めとしまして、宮中の調度品、それから文房具あるいは遊戯具、それから飲食器、それから楽器あるいは武器、武具です、それから薬物、それから書籍、それから文書類など、こう聞きますと何か百貨店みたいな、そういうふうな多彩な種類のものが納まっております。
第4番目には、そういう宝物に用いられる材質というのが大変多様であるということです。例えば象牙、それから犀の角でできたような製品あるいは鹿の角でできた品物、中には鯨の骨を使ったものもあります。それから亀の甲羅ですね、タイマイ。それから真珠、それから夜光貝、そういう動物質のもの。それから紫檀あるいは黒檀あるいは白檀、沈香などというような植物質のもの。それから金、金は少ないのですけれども、銀、銅、鉄、そういう金属類。それから瑠璃、輩翠、トルコ石、ラピスラズリ、こういうようなもの、あるいは水晶、琉珀がございます。そういう鉱物質のもの。こういうものがいろいろ組み合わされてつくられています。
第5番目には、宝物の製作技法もいろいろあります。金属加工した金工のもの、それから木でつくりました木工品、竹を使った竹細工、あるいは漆の製品。それから染色品、それから当然陶器だとか、先ほど言いました鹿の角などによるそういう角の細工品、そういうものもあります。中には
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